<昭和時代~>
更に昭和期に入りますと「茶筒」が出現します。「印籠」「胴乱」を造ったものと同じ技術(木型を使って仕込む)である、「型もの」「仕込みもの」と一般的に呼ばれている製品です。現在「角館の樺細工」といいますと、真っ先に「茶筒」とまで言われるようになりました。しかし実は、この「茶筒」が樺細工にとって最も新し製品群であったのです。
この「茶筒」の出現によって、昭和初期には現代の樺細工に通じる全てのものが出そろいました。
- 「型もの」(仕込みもの)・・・茶筒、印籠、胴乱...
- 「木地もの](箱もの)・・・茶櫃、文箱、硯箱、重箱...
- 「たたみもの」・・・印籠・胴乱の根付け、緒締め、タイピン、カフス、ループタイ...
- 「文様付け」
そして、終戦直後の物資不足時代、全てのものが不足していた時代です。「樺細工」も量を作ることが要求され、これが粗製濫造を招き、評判を大きく落としたこともありました。更には昭和24年頃から普及しはじめた、安価で堅牢なセルロイド製に代表される化成品の出現・普及ということの影響もあったことは否定できません。角館の樺細工は割高で粗悪であるという風評が立ち、大きく衰退してしまいました。
終戦直後、一時は1,000人を数えたともいわれる樺細工職人も、昭和30年頃には僅か30人程度までに激減してしまいました。
樺細工の冬の時代です。正に産地崩壊直前の状態でした。この様な状況は昭和30年代一杯続いたそうです。残った一握りの職人達は細々と、しかしながら正当な製品を作り続けました。これが功を奏したのか、或いは昭和40年代前半にあった民芸ブームに乗ったのかは分かりませんが、昭和40年代に入ると状況は大きく好転しました。
更に、昭和51年(1976)には、秋田県では最初の、国の「伝統的工芸品」に角館の樺細工が指定され、今日に至っております。
角館の樺細工について、近代民衆工芸運動の先駆者である柳宗悦氏は「日本の樹である桜が皮として使われる、日本固有のものである」と、国際的視野から評価しています。
以上、簡単ではありますが、角館の樺細工に関する歴史を簡単に紹介させていただきました。
文 宮本貴久
参考文献 「伝統工芸樺細工」
(角館町樺細工伝承館 1982年)
有限会社 冨岡商店