自然美と手仕事のやさしさが際立つ「角館の匠」

有限会社 冨岡商店

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フェスティバル2010
ブースNo.133
角館の樺細工 香月(かづき)
ふるさと祭り東京
ブースNo.C-27
アート&クラフト香月
角館の「樺細工」の歴史2

<樺細工発生~明治時代>

ルーツがよく分からなくても「樺細工」は実在する訳でして。
樺細工が発生した後のことは資料も多くなり、多少のことが伝わっています。

樺細工が角館で創始された後、下級武士の内職として定着したようです。初期には印籠や胴乱、眼鏡入れなどが製作されたようです。
江戸詰めの佐竹家家老で「鳥越様」と呼ばれていた佐竹壱岐守から突然に「樺細工というものが角館にあるそうだが何か作ってくれ」と頼まれて、書状をもらった佐竹北家の七代目にあたる佐竹義文が、「作りますが、お見せ出来るような大した物ではないので、内々にこっそりという事で...(かなり意訳しています)」としたためた書面を付けて、樺細工製品(おそらく印籠であったと思われます)を佐竹壱岐守に贈った話しとか、佐竹氏九代目の佐竹義文が参勤交代で上京する時の手土産品として樺細工製品を所望したため、何品か製作したところ、非常に出来のよい製品が仕上がり、その中でも特に出来のよかった印籠を津軽候に贈呈したところ、津軽候が痛く気に入って喜び、返礼として「将軍様が献上せよといってもこれだけは手放さない」というほど気に入っていたインド産の文様革を佐竹北家に対して贈ったというような話しも伝わっています。

さて、時代は下り、江戸幕府が崩壊して明治時代になります。
階級社会が崩れ、武士の内職としての産業であった樺細工が町人衆にも拡がり、角館町の地場産業として完全に定着します。
この明治期は、たばこの普及とともに「胴乱」の需要が多く、正に樺細工といえば「胴乱」のことを指す時代でもありました。新たな製作・表現技法である「まくり」「下げまき」(外側の樺の貼り方)などが出現したのも明治期ですし、樺細工としては全く新しいジャンルである「たたみもの」(皮を何層にも膠を使って貼り合わせた板を作り、それを削って造形する。主に胴乱や印籠の根付け、緒締めなどの製作に用いられる)が出現したのもこの時期です。

続いて大正期に入りますと、大判の原皮を使用した「木地もの」(硯箱や茶櫃などのいわゆる箱もの)が製作されるようになります。明治期までの樺細工といいますと、「無地皮・目無し皮」と呼ばれる節の入っていない部分の皮を使ったものがほとんどでした。いきおい、そのような皮は小さくなってしまいますので、「胴乱」「印籠」などの小ぶりなものの製作がほとんどだった訳です。
節の入った皮も使用することにより、明治期よりも大きな製品が作れるようになったことから、「文箱」「硯箱」「茶櫃」などの木地に桜皮を貼った製品が出現してきます。また、これら表面積の大きい製品は、概して単調になりやすいことから、変化・アクセントを付けたり、貼った桜皮の劣る部分を隠すために、文様付けの試みがなされるようになります。
これが現代の「絵付け」「文様付け」の源流となりました。
大正期や昭和初期のの文様付けといいますと、桜皮の劣る部分を隠すための消極的な意味合いの文様付けが主体であったようです。しかし現代では、桜皮の持つ風合いを引き出すための、積極的な文様付けへと変化してきています。


角館の「樺細工」について | 角館の「樺細工」の歴史1 | 角館の「樺細工」の歴史3

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